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グランド・フィナーレ座談会③

グランド・フィナーレ座談会③

徳永 岩井さんは、さっきの質問。
岩井 なんでしたっけ。
徳永 富永さんのここ許せないポイント、別に許せるポイントでもいいんですが。
岩井 許す許さないくらい入らせない感じがあって。だからあれじゃないですか、さっき主人公と周りの世界との距離がって言っていたけど、そうじゃなくて書いた人がこの人について、すごく分かりやすく言うと、ここが是でここが非だっていうことが全然書いてないっていうか、何だろ。周りの世界との距離っていうよりは、こう思わせようっていうのが全然書いてないっていう感じが不思議なスルー感みたいなのがすごくあったんですけど。その中でさっき言っていたシーンの僕は沢見側の非だけど共感みたいな部分で、作家さんの話になってしまうかも知れないな。自分が過去に12歳の子とっていうのを話しちゃうっていう。あれ風邪すごいひいてて、お見舞いに来てくれた。クラブで飲んでいて近くのビジネスホテルとかに泊まって、へとへとになっていて、前の日の夜に罵られて、傷ついているわけですよね、本人的に。それでさらに自分のその世界と親密度っていうのが上がっているかもしれないって時に、女の人来て、それでどんだけ自分がやったことが社会的に許されないのか分かっているって言いながら全部話すっていう状態が、僕は共感て言うか好きですね僕は。そういうカタルシスだと思うんですけど。「傷ついています、そしてそれはこういう傷です」って言ってしまうサブさみたいな。風邪ひいていると少しうれしいみたいな。
徳永 精神的にも身体的にもどん底な甘い感じ。
岩井 そうですね。そういうところは書けるんですけどね。ドライなところが難しい。
徳永 もうあれですか、ピックアップすべきエピソードとかは具体的に。
岩井 ある程度並んで、これからもうちょっとってところですね。
徳永 結構長くなりそうですか。
富永 どうでしょうかね、わかんないですね。長くなる必要があれば長くなるってことですね。
岩井 時間は全然読めないですね。
徳永 登場人物で、原作にあるけどあえてこの人は出さないって言う人はいるんですか。
富永 でも、もともと少ないんですよね。ものすっごい近い人しか出てこないじゃないですか。
徳永 基本的にモノログで済んじゃう登場人物いっぱいいるじゃないですか、娘なんて全然出てこなくていいし、二人の少女だって出なくていいような気もするし、出なくても成り立つ方法もある気がするし。
富永 そこ結構ポイントで、特に娘ちーちゃんて言うのに関しては、具体的な肉体を出すか出さないかで全然見方も変わると思うし、
岩井 しゃべるか、しゃべらないかでも変わるしね。
富永 まだちょっと、そこは一つの肝かなっておもって、まだ悩んではいるんですけどね。後半に出てくる亜美と麻弥は出てきますけどね。ただそれも、なんかまだわかんないですね。亜美と麻弥っていうはっきりした人格にするのか、それとも子供という、きちっとした人格をもった自分たちで生きようとしている、沢見から見たらやっちゃてもそんなこと言われたら急に困る対象でなくて、ちゃんと人間としてこの人たちは生きていく手助けしたいと思うような、しっかりとした中身のある子供っていうものの象徴っていう風な描き方もあると思うし。そこはまだ見えないですけどね。どういうふうにするか。それが亜美と麻弥っていう別個の人格になったり、それを含むもうちょっと大きいものにするっていう見せ方もあると思うので。それは前半の、ストーリーでいうⅠの部分のちーちゃんと亜美と麻弥っていうのはどういうふうにしようかなっていうのは、意外とそこで決まるような気もしますね。
徳永 生田さん、ここで翻って聞く形になるんですけども、キラリとしては、ロミジュリの後にグランド・フィナーレじゃないですか。で、この幅っていうのは意識されてのこと何でしょうか。
生田 幅というと?
徳永 シェイクスピアのロミオとジュリエットを最初は取り上げて。形としては3人の演出家がっていう、演出のスタイルとして非常に変わっているというものを見せた、新しい形で提示した。今回は一人の演出家で、オリジナル脚本で、それで、小説を題材にするという、アプローチもそうだし、劇場として作品を創る提示の仕方としては印象がかなり違うと思うんですけど。
生田 確かに『大恋愛』の場合は、例えば一枚チラシをとっただけでも、ただ単に「ロミオとジュリエット」を上演するというだけでなく、劇場で演劇をどのように運動として創り続けていくかっていう姿勢みたいなものが伝わりやすい企画だったと思うし。そこでいうと今回は、そういう広がりとか運動が見えにくいだろうなというところはあると思いますけど。実は心の中では同じ流れで、さらに運動が次のフェーズに入ったというか。具体的にいえば、今回岩井さんが加わってくれたのも、僕はその現われだと思っているし、『大恋愛』の演出家の一人だった多田淳之介さんが将来のレジデンシャル・カンパニーを目指してキラリンク☆カンパニーに加わってくれたのも新展開ととらえてるんです。演劇で思うんだけど、どうしても人は作品単位で物を見がちなんですけど、たとえばそれを創っている人たちが何を考えどこに行こうとしているのか、その過程を俯瞰して作品を位置づける目、それを語る言葉が必要だと。劇団性が衰退してユニット志向が顕著ないまだからこそ、すごくそう思うんです。キラリ☆ふじみが一つの演劇センター、アートセンターとしての機能を果たせたら、っていうのが僕の夢なんですけど、いろんな表現にかかわる人がいろんな形でかかわってモノが作られ続けていく、その持続的な運動の中に『グランド・フィナーレ』もある。今回だけとっても、いま言ったように、岩井さんと富永さんが出会い、阿部作品と格闘し、みたいに、新しい出会いが予想もつかないシナジーをもたらしつつある。演劇の上演は一夜限りで消え去る儚い表現という面はあるけれど、そこで発見したこと、成功したり失敗したこと、経験や知識などなどを蓄積する場が、まあ、それが劇団だったわけですけど、ひとつの出会いが一期一会で千秋楽とともに消えてしまうのは、僕はノスタルジアじゃなく演劇の未来のためにもったいないと思う。で、セカンド・ステージはより大きなエンジンが必要で、まだエネルギー不足かも。だから、『大恋愛』のときようにはわかりやすくはないですよね。
徳永 わかりにくいってことでは全然ないんですけど、単純に面白いことやりますっていう、そのおもしろさの見せ方が違うと思うんですけど。そのバリエーションを持ってますよっていうのをみせるのもありだと思いますし、面白さのバリエーションを持っていて、こないだはスペードのエースで、今度はハートのクイーンですみたいな、そういう見せ方は全然ありだと思うんですけど、キラリがトランプをやっているんですっていえば全然通る話だと思うんですけど。まあ、一応
生田 「スペードのエース、阿部さん。どうだ。オールマイティー」って思ったら、ある人にとってはオールマイティーなんだけど、全然ハートの2ぐらいの人もいるなっていう感じですけど。そこは少し読み違いがあったかもしれないですけどね。
徳永 結構知名度がそんなに。
生田 好きな人はものすごい神のように阿部さんを崇拝しますけど。あまりみんな小説読まないんですかね。
徳永 でも、こないだケラリーノ・サンドロヴィッチさんが神町の三部作は夢中で読んだよって言っていましたよ。
岩井 『グランド・フィナーレ』も入っていますか。
徳永 三部作っていうか。単行本で上下巻出ている。シンセミアだ。夢中でよんだっておしゃってましたよ。
生田 ケラさんはきわめて知的な人ですから。
徳永 お聞きしたいことはお聞きできたと思うんですが
生田 さっきいった、何で『グランド・フィナーレ』なのかなっていうのは。どうなんですかね。
岩井 僕は皮肉だと思ったけどな。最初読んだ時には。
徳永 それは、小説の構造?「グランド・フィナーレじゃないよ~ん」っていう構造ですか。それともあの世界のなかで
岩井 これでどういう終わり方をするんだろうっていうのを思わせたり、フィナーレじゃなくてすごくドラマチックなものを思わせて、思ったうえで読ませたいって言うか。
富永 言われて考えてみると、「グランド・フィナーレ」ってタイトルのおかげでファンタジーとして成立しているんじゃないのかなって思うんですけどね。つまり、本当にリアルに言ったら、絶対またやるんですよ。あいつは。こんな女の子二人に芝居をみせて、グランド・フィナーレで僕は救われましたっていう話じゃなくて、あいつは絶対やるんです。やるだろって思いながら読んでいましたけど。そうじゃないって言う、神の子になれたって言うファンタジーのために付いているタイトルかなと思います。本当はありえないと思います。ああいう人が救われるのは
岩井 願望ではなく、現実として?
徳永 じゃ、富永さんが思っている『グランド・フィナーレ』っていうのは例えば、天国に行ける人が、天国の門で合格「プッププ~」っていうみたいの感じの。
富永 「プッププ~」っていうことにしましたっていう感じがする。つまり、ある程度フェイク感が、リアリティーを持って書かれているから、それはそういうふうに伝えたいんだけど、最後の最後でグランド・フィナーレ落ちじゃないけど、グランド・フィナーレでもいんじゃないって言うような感じがします。「プッププ~」っていうことにしときましょう。「プッププ~」っていうことがあってもいいんじゃないかっていう希望かな。
生田 「プッププ~」はよくわかんないですけど、とにかく、女性の演出家を選んでよかったと思います。フェミニンな目線で。
徳永 そうですね。三人で、「オタク」な感じでありがちだよねって作られたらたまらないって感じですね。
生田 こんなものどうやって芝居にするの? みたいなリアクションはぼくのまわりにもあって、だから阿部さんの「あの作品を!?」っていう一つの事件が成立するんじゃないかというプロデューサー的な期待は当然ありましたね。それと、個人的には、二部で劇中劇がでてくる。大好きなんですよ、劇中劇が。「あっ、かわいいな、これ見てみたいな」っていう。
徳永 やるんですか劇中劇。
生田 まだ、わかんない。ですよね?
岩井 あっでも、劇中劇っていう扱いじゃないかもしれないですけど、あれ演劇すっげーデカイと思うから。
徳永 主人公が責められながらちょっと自分で自分をあまかみしているようなシーンでもしかしたら出てくるかも知れないかもしれない。
岩井 みたいな。
生田 アイデアもらっちゃったりして
徳永 違います、いま当てられたっていう。言われちゃったよていう。
岩井 いわれちゃった。あんまり言わないようにしていたんだけど。
徳永 でも変態であればある程怒られるっていうのがあって、怒られれば怒られるほど、でもこの世界好きっていう、変態螺旋みたいなものがあって、レベルが深ければ深いほど痛みと甘さはギュッとくっついていますよね。だからまたやりますよね。
富永 またやりますよ。
徳永 やりますよ。それで故郷、追われちゃうんですよ。
富永 最終的に、口にチップ埋められちゃうんですよ。
生田 アメリカの刑務所で、自分が何で入ったのか言わない。知られるとみんなに袋叩きっていう。
岩井 犯罪の中でも下の下みたいな。
富永 それは、主演してくれる松田さんから聞いたんですよ。松田さんは結構怒っていましたよ。沢見に対して。
徳永 松田さんはお嬢さんはいる?
富永 お嬢さん、いらっしゃるかな。どうだろう。そういえば聞かなかったな。
徳永 確か、お子さんいらっしゃいますよね。
生田 あ、知らない。
富永 あ、いらっしゃいますね。
徳永 男の子だったかもしれないけど。確か。
生田 でもDNAにしたら一番不都合なことなんでしょうね。普通にセックスすること以外のことは好ましくない。ましてやそこにインセストまで入ってくるとなんてとんでもない。DNAにとっては嫌な奴なんでしょうね。
徳永 でも、難しいのは、現社会に実際に近親相姦はあったし、神話にも描かれているし、若い女性を男性が好むっていうのは、遺伝子的にはあることじゃないですか。でも、明らかに私たちがこんなに好きになれないって思うのは、なんか細くて深い、きっとあれがあるんでしょうね。こっからはなしみたいな。
生田 そっか。一昔前なら小学校6年生の年齢でも子供産んでいたのか。じゃあ非生産的でもないんだ。
徳永 今だって、世界中でありますよね?おじいさんが10歳の子と結婚するとかっていうの。
富永 だからそこも違いますよね。女性として体は完成しているけど、文化的にまだそれは子供とされている子供なのか。だから小学校5・6年だったら、体はもう大人の女性に近いから、あと、じゃあ3・4歳みたいなね。あと沢見は8歳だからね。そこが、沢見結構オールマイティーですよね、結構。幅が広いですよ。
徳永 あと12歳の子のお母さんとも・・。
富永 そうそう。その子ともお母さんとも付き合っていたっていう。
徳永 博愛主義だな。
富永 そう、博愛主義だけど、「わたしのことどう思っているの」っていわれるとお手上げになっちゃう。
徳永 誰のことも何とも思ってないってことですよね。
富永 そう。誰のことも何とも思ってないっていう。最悪だな。
徳永 まあ、でもすごく現代っぽいですよね。あっ、でも沢見って自分のことをどう思っているんでしょうね?自分のことは何か思っているんでしょうかね?
岩井 自分のことですか?
生田 そう言われると、確かに。
富永 かわいいんじゃないですか?やっぱり。自分のことをすごく。
徳永 自分?
富永 自分・・・。自己愛なんじゃないですかね。うん。殺人にしても、ちっちゃい詐欺とかにしても、私なんか頭の中で結構たくさんの人を殺していますけど、まあ、人を殺したことは実際ないんで、まあ、それはやらないじゃないですか。「殺したろうか。」って思って、いろいろ「こうやったろか」とか「完全犯罪で殺せるかも」とかシュミレーションしたりとかしますけど、でもやらないですよ。今のところ。だから、頭の中でいろんなことがあったとしても、そこを越えるか越えないかっていうのは、たぶん違うところにスイッチがあるんじゃないですかね。普通の人はどんなに妄想しても、まあ普通っていうかスイッチが多分あって、それがオンになっちゃうとその人の内的な世界がドァーって外に出ていっちゃうみたいな気がするんですけどね。だから人ごとじゃないなって気がするんです。そういう被害者側だろうと加害者側だろうと。自分の中にそういうものがあって、そのスイッチで止められているだけだなって。
徳永 仮止めの人もいっぱいいる。
富永 仮止めの人もいっぱいいますね。
徳永 じゃあ、ありがとうございました。
岩井・生田・富永 ありがとうございました。


by kirari_fujimi | 2009-02-07 11:24 | 座談会